横浜FCと横浜FCと横浜FCとあと横浜FCなんかに関して書いたり書かなかったりします。ほかの事を書くこともあります。
by naminos
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ:連載( 28 )
横浜物語 the youthful days 0005
前回引越しと新生活のスタートを書いたが、たぶんこの後からは時間順になりにくい。
記憶の断片を少しづつ取り出して書き綴っていくことになる。

今回は横浜生活の軸となるバイトの話。

このシリーズのタイトルを横浜物語~としたが、バイト先は都内である。
あんまり横浜じゃない物語の方が多いかもしれないなあ。

まーいっか。とりあえずバイトの話を少し。

父親の旧友という人が、とある大手出版社でバイトの斡旋をしている人と知り合いでという縁で、俺はそのバイトにありつくことができた。特別そういった業界に憧れているとかそういうこともなかったが、わくわくはしていた。田舎もんには刺激的ですよやっぱ。

細かい経緯は割愛するけど、俺がやることになったバイトは簡単に言うと「雑誌編集部の雑用係」である。編集部に詰めて、編集さんに呼びつけられて、いろいろお手伝いをするのが主な業務だ。俺が配置されたのは女性向けファッション誌だったので、女性の編集さんが多かった。個々のエピソードはまた機会を譲ることにするが、今回は基本的な日常の業務スケジュールを時間軸で紹介する。

8:00 起床
9:00 出勤
10:00 編集部到着 ほとんど誰もいない。徹夜明けでテンパってる編集さんだけが血相を変えてたりする。製作さんもテンパってることが多い。
11:00 献本の宛名書きなど勝手に仕事を進める
12:00 もう一人のバイトご出勤。俺は編集部張り付きを交代して昼飯へ。
13:00 編集さんぞくぞくとご出勤。電話も増える。電話番はバイトの仕事。
14:00 大量の記事コピーなど依頼される。コピー室でゴリゴリコピー。
15:00 郵便室から郵便バスケット到着。仕分け&編集部内に分配。
16:00 社内新刊バスケット到着。部内に配布。
17:00 お使いを頼まれる。
18:00 お使い先に到着。原稿受け渡しなど。
19:00 編集部に戻る。特に用事がなければ、あとは遅番?のバイトに託して撤収。
21:00 コンビニ寄ったり飯食ったりするので、だいたいこの時間に帰宅。

こんな感じである。交通費込みでだいたい20万手取り平均もらってた。時給もよかったが、勤務時間も長かったのでそれなりの収入になってたんだよなあ。平日は毎日入ってたしね。特別編集さんから依頼でもない限りは休日の出勤はなかったし。それに何より出勤時間は決まってなかったので楽だった。ていうか午前中に編集部入っても誰もいないんだけどね。

もう一人のバイトは俺より5歳ほど上のベテラン。この編集部以外にも2,3他の編集部で経験して来ているという話だった。もう長いので仕事はベテランなのだが、同時に手抜きもベテラン。いろいろな意味で頼れる先輩だった。一応バイトの元締めからは、バイト全員が10時には入るように言われているのだが、編集部よっては実際には何もすることがなかったりってことがザラなわけで、とりあえず片方いればいいのであったから、なんとなく俺が早番、彼が遅番って感じで役割分担が出来上がっていた。同意したわけでもないのだけど、当時の俺は良い子ちゃん系なので元締めの指示は守りたかったし(親父の縁故なので下手なこともできなかった)、10時出勤は全然苦ではないので特に異論もなかったし、遅い仕事は彼がやってくれたのでむしろお互いに都合がよかったのである。

といった感じでウマいこと「大手出版社の雑誌編集部付き雑用係」なんていう丁稚奉公みたいな仕事にありつけて、俺のyouthful daysは始動したのである。
[PR]
by naminos | 2006-05-07 02:30 | 連載
横浜物語 the youthful days 0004
引越しは簡単だった。

伯父の家に居候していたのでそれほど荷物はなかったからだ。
それでも持ち運ぶには多かったので伯父の車を借りた。

そのときの所持品といえば大半が本だ。当時の俺は月に文庫単行本区別なく30冊は読む本の虫だったので、居候3ヶ月分の本が山積になっていたのである。
伯父の車はセダンだったのでトランクと後部座席に本を、助手席に衣類や雑貨の入ったバッグを詰め込んで出発した。従兄が手伝うと言ってくれたが、何せ荷物がこれだけだ。その必要もなかった。

走り出しは慣れない首都の道なので焦りまくっていたが、10分も走れば勘ももどってコーヒーを飲む余裕も出てきた。
環八から第三京浜へ、横横道路を経由して保土ヶ谷まで1時間ちょっとだったと思う。
電車から見る横浜と、第三京浜から見る横浜は、また趣がまったく違っていて何か不思議な感じがした。

前日のうちに鍵をもらっていたので、不動産屋には寄らず、そのまま新居へ直行した。

駐車場はないのだが、前の道が通り抜け出来ないので、ほぼ専用駐車場のように使えて少し便利だった。もっとも車幅ギリギリしかないので長時間の駐車は非常に迷惑だろうと思うが。

到着したらちょうど昼時だったので、角のパン屋で惣菜パンを買って食べた。これからだいぶお世話になるパン屋である。日曜が休みなのが玉に瑕だったな。
パンを食ったらすぐに荷物を運び込んだ。

家財道具は高校時代に使っていたものが実家で眠っていたので、それをそのまま持ってくることにしていたのだが、バイトのほうが先に決まってしまったので、来週までは何もないままで暮らさなければならなかった。冷蔵庫、洗濯機、戸棚を次の週末に一度実家に帰り、バンに積み込んで持ってくることになっていた(確か弟に手伝わせたんじゃなかったかな)が、ベッドはこっちで買うことにしていた。

当時はまだバブル崩壊直後ということもあり、憧れていたライフスタイルの残像なんてもんも俺の中にあった。完全に再現するにはまるで金が足りないのだが、無いなりになんとかエッセンスだけは味わいたかったのである。

夕方、伯父の車を返しに戻り、その夜のうちに再び横浜へ来た。

実は引越しのことはあんまりはっきり覚えていない。なにしろ忙しかったのだ。
伯父の車で当時の彼女を彼女の家まで送り届けている記憶はあるのだが、
それが引越しの夜なのかいつのことだったのか覚えていない。
しかし伯父の車を借りたのは一度きりのはずなので、多分そのときに送っていたんだろうなあ。
でもどうやって待ち合わせしたのかなど全然記憶にないのだ。

しかしとにかく引越しの夜再び保土ヶ谷へ戻った俺に悲劇が襲い掛かる。

布団もベッドもない床で寝るのは寒かった。確かまだ3月である。我慢できないほどではなかったが、何せ暖房のダの字もない。ありったけの衣類やタオルを巻きつけてコートに包まってなんとか眠りについた。ガキのころに読んだキュリー夫人の若いころの貧乏エピソードが脳裏に浮かんだ。思えばカーテンもなかったんだなあ。あの夜は。無駄に広い(広くも無いが)に本の山に埋もれてぼろ雑巾のように眠った。悲壮感もなかったが希望に満ち溢れているわけでもなかった。なんとなく流れに身を任せてきたが、このバイトを始めるということはもう浪人はしないということに他ならない。もちろんその気になればまた受験を始めるという選択肢はあるのかもしれないが、少なくとも今年受験をしていないし、端から見ればとっくに大学なんて考えていないのかもしれなかったが、俺自身はまだそこまで割り切ってはいなかった。その夜までは。この夜を最後に俺が再度大学を目指すと発想することはもうなかったのである。(文章下手すぎ!いつか書き直し)

電話もテレビもなかったが、朝になれば目が覚めた。彼女と10時に待ち合わせだった。とりあえず必要なものを買い揃えるのを手伝ってくれるのである。昨日のパン屋で朝食を買おうかと思ったのだが、休みだった。その先の売店も休みだった。結局坂の下まで降りることになった。そこまで行かないとコンビニがなかったからである。

雑貨類は東急ハンズで買った。何を買ったかよく覚えていない。当時は家計簿をかなりきっちりつけていたので、探せば資料が出るかもしれない。
とりあえずベッドを買った。あと毛布。ベッドは3日後だっただろうか。確か。
ベッドと言えば聞こえはいいが、勝ったのはスプリングマットレスだけである。
雑誌にあるような床に直にマットレスを敷くような生活に憧れたのだ。
これは後日悲劇を生むことになるが、それはまた別の物語。
まあ金も足りなかったしね。今ならソファベッドなんかも豊富にあるけど、当時はあまりいろいろなかったような気がする。

あと小さな小さなセラミックヒーターを買った。とても小さかったが、俺にはとても必要なものだった。あと風呂関係のいろいろと、カーテンを買った。
他に欲しいものはあったが、手で運べるのはここまでだった。とりあえず。

彼女はまだ部屋を見ていなかった。
駅から団地の階段をひいひい言いながら登った。
彼女は純粋に荷物が重いとは言ったが文句は言わなかった。
俺たちは付き合いはじめてから1年ほど経っていたがそれまでは遠距離であったし、
俺が暮れから東京へ出てきてもなかなか会えなかったりだったのだが、
ようやく2人でゆっくりできる場所ができたわけで、
そんなやっと感が2人の間を満たしていた。

緑の壁にオウムの絵のちょっとばかり派手な概観を見て彼女は爆笑した。
事前に話はしていたのだが、現物は彼女の想像を上回っていたらしい。
部屋に入ると「きれいだけどあんまり広くないね」と言った。
そのとおり、俺の部屋はきれいだけどあんまり広くないのだ。俺は「まあね」と返事をした。

とりあえず買ってきたものを開き、カーテンをつけた。もう日が暮れてきたのでカーテンを閉めた。ヒーターをつけた。なかなか暖かくならなかったので、俺たちは2人で毛布に包まってキスをした。久しぶりの長いキスだった。

近くには食事するところが何もないので、彼女を送りがてら駅前まで降りた。このころの俺は「駅前に降りる」という表現をよくするのだが、それはもう実際に思いっきり坂を降りているからに他ならない。のである。

2人でラーメンを食べて、それから彼女を見送った。
2人でいると1人になった時の辛さは5割増な気がした。
部屋は本格的に寒かったが、昨日よりはマシだ。

俺は電話もない部屋でまた眠った。明日からバイトなのだ。
[PR]
by naminos | 2006-05-02 21:02 | 連載
横浜物語 the youthful days 0003
家を借りるの巻

高校時代から下宿だった俺にとって、一人暮らし自体は別段珍しいことでもないのだが、1から自分で決めて自分で手続きを踏むのは初めてである。
当時、おそらくいくつもの候補から選んでいたと思うのだが、他の候補がどんなだったかなど、そのあたりの細かいことは覚えていない。

賃貸情報誌を見てその候補の部屋を見に行ったのは、アルバイトが始まる前の週半ばだったように思う。決めたのは1件目ではない。確か3件目だ。
駅の改札を出るとスーツ姿のお姉さんが待っていた。確か小柄なお姉さんだったと思う。

駅歩10分

確かに10分である。が、その家は強烈な坂の上にあった。
駅から出て国道を渡り、小さな商店街を抜け、脇道に入るとそこには崖のような坂が立ちはだかっていた。

「うわ」

思わず声を上げるとお姉さんは「ここはちょっと大変かもしれないですねー」などと笑っていた。
「向こうの階段なら少し楽かもしれないですね」
この坂の他にも、駅の目の前のマンションの間を抜ける階段を上がるルートがあったのだ。
それしても長い坂だ。少々悩んでしまった。

上りきったところには女子高があり、その向かいには小さなパン屋があった。
坂の上はこの丘の尾根づたいにバス通りがある。女子高脇の交差点からバスどおりを北へ行けばマンションの間の階段へ繋がっているのだろう。
パン屋の脇の路地を入ると、そこに物件があった。

洋風のデザインに、緑色の壁。
そして、なぜかクソでかいオウムの絵。オウムつっても当時事件になってたアレじゃなくて、鳥の方である。
建物は小さいが、いろいろとこじゃれたエクステリアで、田舎モノのハートを掴むには十分な横浜っぽさがあった。

建物はL字型で、1階が3部屋、2階が3部屋になっていた。
俺が紹介されたのは1回の端の部屋である。

お姉さんに促されるまま中に入る。
変形したワンルーム。間取り図の印象よりだいぶ狭い。
床は擬似フローリングで押入れなどの収納はない。
ユニットバスと電気コンロの小さなキッチンがあった。
洗濯機置き場はない。
窓は南北両サイドにあるので通気はよさそうだ。
b0060919_2253954.jpg

多少悩むところはあったが、実のところほかに選択肢があったわけでもなかった。

それはこの部屋が礼1敷1で、しかも家賃が5万円以下だったのだ。
横浜から一駅、駅歩10分で、築10年そこそこの風呂付ワンルームで4万5千円というのは
当時としては十分に魅力的だった。

坂がなんだ。
多少狭くても構うもんか。
洗濯機は部屋に置けばいいじゃないか。
とりあえずベッドにしないとならんが俺一人住むのだからいいじゃないか。

「どうです?」

しばらくうなってみたが、今日中に決めなければならなかったのと、とにかく初期費用が安いというところが決定打になった。

「決めてもいいですかね?」

とりあえず必要な書類などはひととおり持参してtあったので、そのまま関内の事務所まで連れて行ってもらって手続きを済ませた。保証人が必要だったのだが、それは伯父が引き受けてくれた。本当に伯父には頭が上がらない。

安く済んだせいかすぐに振込みできたので、週末には部屋の鍵をもらえることになった。

次回 引越し編 に続く
[PR]
by naminos | 2006-04-26 21:51 | 連載
横浜物語 the youthful days 0002
とりあえず家探しのエピソード

 念願の出版社でのバイトが決まった時、俺はまだ製本所で肉体労働に従事していて結構いいガタイをしていて、伯父の家に寄生虫のように居候をして若干迷惑な存在になりつつあった(伯父も伯母も従兄たちも非常に良くしてくれたのだが、さすがに長すぎた)ので、バイト事務所からの連絡に内心ホッとした。実のところもう連絡は来ないものと思いはじめていたからだ。連絡がないとわかれば貯めた金で南半球にでもワーキングホリデーに出ようかとすら思っていたほどだ。(この話はまた別の時に)
 しかしついに連絡は来たので、俺は早速工場制手工業の肉体労働で溜め込んだ賃金を元に、今後の生活基盤の根本を担うであろう我が城を探すことにした。

 新しいバイトの開始まではまだ2週間ほどある。まずは今のバイトを辞め、新居を探し、引越しを敢行しなければならない。そんなに長い時間が与えられたわけでもなかった。アルバイトの対価としていくらもらえるのかは先日事務所に行って説明を聞いてきたのでだいたいわかっている。20歳そこそこ高卒のフリーターにしてはまずまずの収入が見込めていた。が、初期資金がそれほど潤沢ではない。2ヶ月の工場労働でそこそこの蓄えは出来ていたが、贅沢が出来るほどではなかったし、バイト代が得られるのは実に2ヶ月近くも先である。その間の生活費も確保しておかなければ、軌道に乗る前に引力につかまってまっさかさまだ。それは困る。

 どこに住むか。俺の中ではまだはっきり決まっていたわけではない。周囲の人間に相談してみた。

伯父「中野でいいんじゃないか?伯父さんとしては近くにいたほうがお前の母さんにいろいろ報告も出来て都合がいいんだがな。」
えーそりゃちょっと若者的には若干息苦しいようなでもありがたいお言葉ですがちょっと賛同はいたしかねますすみません。

従姉「千葉とか家賃安いよ千葉にしなよ千葉」
彼氏が千葉にいるんすか?

従兄「渋谷か原宿の裏ストリートのアパートとかいいぜ。友達に紹介すんよ」
魅力的な提案だけど4畳半で7万8万つーのはキツいです。

伯母「秋ちゃんここにいていいのよ?遠慮しているの?そうなの?」
あーいやそんな遠慮するような人間が何ヶ月も居候したりしませんて。大丈夫です。

 翌日デートの約束をしていたので、ここはやはり当時の恋人であったあかねに相談をすることにした。というかそれが普通なんだけどね。居候の頃はあかねと電話をするときは家を出て公衆電話からかけていた。同じ関東とはいえ市外局番なのでテレカの減りも早かった。ポケベルもなかったので、お互いに電話がしたいときはあらかじめ時間を決めておくか、一度彼女から伯父宅へかけてもらって取り次いでもらい、その後俺が家を出て青梅街道沿いの電話ボックスからあかねの家へかけ直すという手法を取っていた。ケータイを小学生でも持ってるような21世紀の今からは想像もつかないようなまどろっこしい恋愛を僕たちはみんなやってたんだ。

 それが今度は一人暮らしになれば電話かけ放題だし、彼女部屋に呼んでウヒヒも自由だし、夜中にファミコンやっても自由だし、とにかく自由が手に入る。当時の俺は何よりも自由を渇望していた。永かった浪人時代が終わりを告げても自由は来なかった。義務から解放された代わりに、権利も失ったのである。それがようやく1年を経て羽ばたくときがやってきたわけである。多少はしゃいでもバチはあたるまい。

 2週間ぶりに会ったあかねは、音大の進級試験をクリアしたところで少し穏やかな状態に戻っていた。お互い金に余裕はないのでデートといってもマクドナルドである。このあとあまり遅くならないうちに駅まで送って返す。ホテル代なんて今は無理だ。実際のところクリスマスにしてからそれっきりキスだってロクにしてなかったのだ。俺の若者のわがままはもう臨界寸前であったし、これ以上我慢したらもう犬でも襲ってしまったかもしれない。実際そのときだって彼女の胸のふくらみを服の上から妄想してはひそかに股間をいきり立たせていたのだから、若さってやつは取り扱いが難しい。俺はいつだって俺自身をもてあましていた。

あかね「あのね。うち門限あるでしょう。11時。都内で会うとゆっくりできないから、うちのほうにしない?」
俺は「ゆっくりする」に過剰に反応してトキめいた。お前そりゃ俺とお前でゆっくりつったら当然ゆっくりといいながら一部はその過激に動き回ったりしながらゆっくりするって解釈で問題ないいんだよな?いいんだよな?お前を信じるぞ?

「でもお前の家まで行くと結構遠いんじゃないかな。交通費は支給されないから、あまり遠いとその分バイト代が凹んでしまうよ」

あかね「うちまでじゃ遠いのはわかってるよ。その手前ぐらい。神奈川県入ったら少しは安いんじゃないのかな。」

俺「神奈川県つったら蒲田あたりからか?」
あ「蒲田はまだ東京。川崎からだね」
俺「路線図見てみるか。川崎、横浜、戸塚、藤沢・・・藤沢はお前んち近くか。これは確かに遠いなあ」
あ「横浜とかどう?10時ぐらいまでいられるよ」
俺「・・・・横浜」

 調査したわけではないが信州人は横浜にあこがれる種族だ。決して俺だけの特性じゃないはずだ。海!港!中華!そしてオシャレ。ああそうだ実家にあったマンガ「横浜ラブコネクション」のあのぬるい恋愛の世界だ。ポニーテールでスカジャンでブギウギでべスパでノリノリのあの世界だ。いいの?俺がそんな世界の住人になっても。妄想は無料だし誰も責任など取らない。いいじゃないか当時そう思っていたのだから。現実がどんなにかけはなれていてもいじゃないか。いいじゃないか。

俺「・・・・横浜かぁ・・・・いいかも」
すでに単独でトリップモードの俺に
あ「じゃあ横浜で決まりね。横浜だったらさ保土ヶ谷とかあるよ」
俺「ホドガヤ?何語?」
あ「横浜駅から1つ目」
俺「そんな駅あったんだねえ。何度か通ってるけど」
あ「住宅多いからきっといいの見つかるよ」

いつの間にか言いなりになってることにも気づかず俺はすっかり脳が横浜モードに染められて、不動産誌を買い込んで検討会を個人的に行った。そしてめぼしをつけて翌週現地に乗り込むのであった。

つづく
[PR]
by naminos | 2006-04-11 21:18 | 連載
横浜物語 the youthful days 0001
最初に

このストーリーは1992年~1993年のある青年の生活や行動を振り返りながら、当時の世相や流行、生活様式を面白おかしくつづるドキュメンタリーです。ドキュメンタリーですが、いろいろの都合上内容の一部を非公開のままフィクションにすりかえて構成します。まあ話半分に適当に読んでくれたらいいと思います。

ストーリーナンバーは書いた順に記されます。必ずしもストーリーの順番でも時系列でもありませんのでご注意ください。ストーリー順については定期的に接続表を作りますのでそちらを参考にしてください。混乱が始まる前は番号順またはリリース順に読めばいいと思います。

またストーリー内容や細かい描写などについては予告なしに、まったく改変してしまうことも予想されます。常に今書いてあるものが最新バージョンであり、未来においてその内容が保障されることはありません。あらかじめご了承ください。

とりあえず登場人物を紹介して予告編とします。全部偽名です。

俺あるいは波野時として秋二・・・・・・・暫定的主人公。途中で死んで代替わりするかも
恋人 あかね・・・・・・・波野の彼女。音大生。金持ちではない。
後輩 カオリ・・・・・・・・高校の後輩。超美人だが究極の男嫌い。
後輩 ミユキ・・・・・・・・高校の後輩。長身でひとなつこい。
友人 光次郎・・・・・・・昔のバイト仲間。大学院生。遠い。
友人 ミチコ・・・・・・・・昔のバイト仲間。学生。遠い。
友人 ミホ・・・・・・・・・・昔のバイト仲間。学生。近い。

友人 ヒトミ・・・・・・・・・・昔好きだった女。大学生。
友人 大崎・・・・・・・・・・ヒトミの彼氏にして波野の親友大学生。

先輩A・・・・・・バイトの先輩。貧相で小ズルイが悪人ではない。
先輩B・・・・・・バイトの先輩の同期。AVの専門家。スカトロ傾向あり。
後輩C・・・・・・長身イケメンのバイトの後輩。知能以外に欠点がない。

編集のユウジさん・・・・・童顔の編集者。♂。波野を弟分として気に入ってくれてるようだ。
編集のミキ姉さん・・・・・最年少の編集部員。さらに年少の波野を弟分として可愛がってくれた。
制作のタカギ兄さん・・・若手制作部員。ユウジ編集員と仲がいい。

編集の大河原さん・・・・超カッコいい編集さん。ファッション部担当。連載小説も兼任。
編集の緑川さん・・・・・・超知性派。文芸担当。
副編集長ユカリ様・・・・バリバリのやり手編集者。事実上のリーダー。
編集長・・・・・・・・・・・・・編集部では仕事をしない。外交担当。

以下思い出せば設定を順次追加していきます。
[PR]
by naminos | 2006-04-11 20:21 | 連載
四万十市
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 高知・四万十市で39・7度、今夏全国一の暑さ

そんな市あったっけ?
河口からずっと市とかあるような感じじゃなかったんだけどなあ。

というわけでそろそろ再開の準備をするか。
[PR]
by naminos | 2005-08-10 17:57 | 連載
第2部予告編
さーて。四万十の写真でも整理するか。
[PR]
by naminos | 2005-08-03 19:28 | 連載
十三日間日本一周 第2部 予告編
キーワード

四万十川
しまなみ海道
尾道
再会
デート
告白
キス
夜明け
旅立ち

8月吉日より再開予定

乞うご期待
[PR]
by naminos | 2005-07-06 17:31 | 連載
十三日間日本一周 drive17 4th day 四国上陸
目が覚めるともう船が港に入るところだった。ここは宿毛観光汽船のカーフェリー。その2等客室だ。一瞬自分がどこにいるのかわからなかったが、離婚して家を出ていらい毎朝自分がどこにいるかわからないことが続いていたので、別段珍しいこともない。
ずいぶんぐっすりと眠ってしまったようだが、目覚めは良く、疲れもだいぶ回復していた。前職では会社に泊まりこむことが少なくなかったのでいつのまにかどこでも熟睡できる体質になっているようだ。思えば出発からまだ風呂にありついていない。今日はどこかでなんとかしなきゃなあと思いながら毛布をたたみ、カーデッキへ向かった。
まだ乗っていないのは俺だけのようで、せかされるようにクルマへ乗り込んだ。エンジンを始動させるとナビゲーションも再起動される。まだGPSをつかんでいないので、位置表示が佐伯のままだ。ナビのヤツ驚くぞとニヤリとしながら、フェリーが停船するのを待った。

船が接岸すると正面のフタが開き、順に降りてゆく。それほど乗船車は多くないのですぐに自分の順番になった。
5時50分。俺は四国は高知へ足を踏み入れた。家を出てから4日目の朝である。
宿毛の港はがらんとしていてあまり何もなかった。早朝と言うこともあるのだろうが、どう見ても栄えているという風情ではない。いろいろなものが日に焼けて変色し、埃にまみれて錆び付いているような感じである。日はまだ昇っていなかったが、周囲はだいぶ明るくなっていた。

四国第一の目的は四万十川である。いやむしろこの旅を思い立ったきっかけが四万十なのである。以前から日本で最も美しい河であると聞いていた。日本の河はどれもみな美しい。その中でも最高峰の美しさと言うのはいったいどのようなものなのか。是非見たいと思っていたのだ。予期せずして得られたこの自由に、ここへ来ないでいったいいつ来ようというのか。そして俺はあと数十キロの地点まで来ている。宿毛市から中村市へ抜ければ、そこはもう四万十の流域なのだ。

朝食を調達したかったが、うっかりコンビニをやり過ごしてしまった。まあまた次のが見つかるだろう。俺は引き返さずに道を急いだ。

国道56号で山間部を抜け、再び平地へもどると橋が見えてきた。どうやらこの河が四万十川のようだ。俺は幹線道路を離れ、川沿いに下流へ下った。周囲はのんびりした田園地帯で民家が山際にポツポツある程度。非常にのどかだ。朝もやのなかで川面に朝日が輝き出して美しかった。
窓を前回にして川沿いの道を走る。河は徐々に太くなり、河口が近いことがわかる。
海が見えたところで川沿いの道は河を離れて大きくカーブしている。カーブの頂点にちょっとしたスペースがあったので車を停めて降りた。四万十川の説明をする観光用の看板があった。
地図で確認すると、どうもここが河口に一番近い地点のようだ。宿毛の港から40kmほどきた地点である。6時45分。
俺は四万十川源流へ向けてクルマをスタートさせた。
[PR]
by naminos | 2005-01-28 20:07 | 連載
十三日間日本一周 drive16 4th day 佐伯にて
佐伯の乗船ターミナルで手続きをして、クルマに戻る。もう深夜2時なので人気はほとんどない。乗船を待つ駐車場は俺の他に乗用車が2台ほど、トラックが3台ほど停まっている。オレンジ色の照明がターミナル全体を照らしていた。やはり南国のせいか気温は下がっていない。まだ3月だというのに、というのは山国育ちの感覚なんだろう。
出港は3時。仮眠を取るには時間がなさ過ぎる。乗船してからゆっくり休むことにしよう。ナビを操作して四国に行ってからの計画を考える。とりあえず四万十川を見るということ以外何も決めていなかった。四国の後どうする?
どうしてもクリアしなければならない予定は日曜日に鎌倉へ行くことだけで、他は何も決めていないし決まってもいなかった。今は水曜日の深夜。日付は木曜日だ。時間はたっぷりある。

四国をぐるっと回って瀬戸大橋から本州にもどってって感じだろうか。いやそれだと広島に行けないじゃないか。本州では大阪や和歌山、奈良あたりも行きたいな。名古屋もあるな。そういえば沼津に行く計画もあったか。さてどうしたものか。あまりに自由すぎるとなかなか予定も決まらないものだ。

東京での泊り先も考えておかないとなあ。さすがに旧宅に泊るわけにもいかんし。都市部での路上野宿もちょっと避けたい。
とりあえず心当たりにメールしてみる。日曜日はライブなのでダメというつれない返事。ライブと俺とどっちが大事なのかと思ったが、そりゃライブか。とあきらめた。この人はもうダメかもわからんね。前はいい雰囲気だったが、最近はさっぱりノリも悪くてかみ合わないことが多かった。もう少し関係を大事にしとけばよかったかなぁと反省したが、今さら遅い。失うときはどんどんいろんなものを失っていくものだ。今は歯止めが利かない。そこをなんとかと一応懇願のメールをしておいた。
とりあえず日曜のことはまた考えよう。まずは明日からどうするかだ。
それに東京まで行ったらそのまま実家に向かってしまうかもしれないしな。

行動が密なうちは何も考えずに済んでいるのだけど、こうして動きが止まるとどうしてもいろいろなことが脳裏を横切り始める。離婚は仕方がないと思っていた。回避しようと思えば回避できないこともなかったのは事実なのだが、俺は自由を渇望するがゆえにその流れにあえて乗って何も考えようとしなかった。あの生活に戻るのはもうできなかったし、無理があった。息子ともあまりにべったり過ぎてお互いのためにならないのではないかとも思っていた。いや、思いたかった。そうやって理由付けしないことには、あの別れ際の息子の泣き顔を消化することなどできはしない。俺は必死で自己弁護をし、すがれる屁理屈があればなんにでもすがって自己正当化を図るしか生き続ける術をもたなかったのだ。ぼんやり港の明かりを見ながらタバコに火をつけてため息をついていた。少し疲れているのかもしれない。
b0060919_23255039.jpg

他の車が動き出したので、俺も後に従った。乗船車両の列に並べ、切符を用意して待つ。係員が2人ほど現れ誘導を始めた。フェリーの乗船口はすでに開口していた。係員の合図で1台ずつ乗り込み始めた。深夜の港にガタンガタンと音をさせてフェリーに乗り込む。中にも係員がいて誘導する。そんなに大きな船ではないが、大型車が何台も乗れるのだから、やはり船というものは総じて巨大なのだ。

クルマを停め上部デッキへ行く。二等船室は雑魚寝のフロアだ。毛布と小さな枕が用意されていた。テレビはあるが今は放送がないのか消えている。俺のほかには遠くに数人の客がいるぐらいだ。アナウンスがあってフェリーは出港した。さらば九州。数時間後には俺はもう四国だ。
横になって毛布をまとう。さっきのメールの返事が今ごろ来た。
-やっぱダメだよ。
そりゃどうも。返事を読みながら俺は久しぶりの深い眠りに落ちた。
b0060919_2325610.jpg

[PR]
by naminos | 2005-01-20 20:23 | 連載