横浜FCと横浜FCと横浜FCとあと横浜FCなんかに関して書いたり書かなかったりします。ほかの事を書くこともあります。
by naminos
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はたらくおにいさん5
次の仕事はカバーかけ機械のオペレーションである。主担当の社員さんがじゃんじゃん本をレールに流していくので、俺は脇からカバーやスリップやしおり、パンフレットなどを欠かさないように補充していく仕事だ。
帳合の機械よりはわかりやすいのでいいが、それぞれ数も形も違うのでかえって面倒な仕事だったかもしれない。

俺は割合器用な方だったので無難にいろいろこなしていたのだが、中には何やってもダメってキャラのヤツもいた。休み時間に参考書を読みふけっているメガネの男がいたのだけど、誰とも話すことなくいつも黙って勉強していた。おっさんの中には勉強アレルギーの人もいて、何かと揶揄していたが、彼は特に反応するでもなくいつもマイペースだった。ただ困ったのは仕事もマイペースだったことだ。勉強アレルギーのおっさんだけでなく、ヤンキー君も勉強さんが嫌いなようで、彼がミスをすると舌打ちをして後片付けをやったり、イライラをあからさまにして機械を止めたりしていた。勉強の彼は筋力的にいろいろ難しいのと、デキシタリティも見た目以上に不足しているようで、よく本の山を崩したり、崩れやすい山を積んだりしていたし、なにより動きが遅かった。そのせいで機械が止まることも少なくなかった。ただ、彼は結局俺が辞めるまでの間、辞めることはなく泣くでもなく、ただ淡々と仕事をこなしていた。あと休み時間は参考書を読んでいた。参考書の中身をどれだけ理解できていたかは俺にはわからない。そして結局彼と会話することは一度もなかった。

その頃は発刊される本が多い時期で、4時間ほどの残業をやったりしていたので、いつしか懐は結構あたたまってきていた。

ここだけの話だがたまに余った本(見本としてキープしているのとは別に余剰分が転がっていた)をもらえたりしたので、その頃は本を買わずに済んでいた。本の虫だった俺にとって、これは天職だったかもしれない。もっともそのあとの出版社のバイトはもっと読み放題だったのでさらに天職だったのだが。

2ヶ月ほど経ったころには、1日8時間の肉体労働が功を奏して結構素敵な胸板と腕に成り上がっていた。人生で一番マッチョな時期だったと思う。彼女もちょっとびっくりしてしばらく胸にはりついたりしていた。

そんなある日、伯父宅に戻ると俺に電話が来ていたと告げられた。待ちに待った出版社のバイトである。折り返しかけると、翌週から来いとの急な話だった。

翌日俺は社長に週いっぱいで辞める旨を伝えた。社長は慣れている様子で無愛想なまま給料の清算の手続きをしてくれた。最後の日、ヤンキーのあんちゃんは「お疲れ」とだけこれも無愛想に言い放ってくれた。カバー機の社員さんは、そうかーなんだーもうやめちゃうかーお前上手いからまたもどってこいよーまってるぞーと言ってくれたので嬉しかった。カバー点検のおばちゃんも優しく送り出してくれた。在庫管理のおっちゃんは最後に5冊ほどくれた。片目のおっちゃんも勉強アレルギーのおっちゃんも指が足りない社員さんも経理の姉ちゃんもみんなお疲れと言ってくれた。俺もお疲れ様ーと言って製本所を出た。

最寄り駅まで戻ってから、生まれて初めて一人で居酒屋に行った。ビールを2杯とやきとりを食べた。これが自分へのごほうびだった。

翌週、製本所で稼いだ金ともともとあった金で、横浜に部屋を借りた。横浜時代の話はまたいずれ。

おわり
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by naminos | 2005-04-20 20:00 | 思い出
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